私は今から10年前は、体育教師をしていました。
普通校ではなく、特別支援学校や不登校の学校などの特殊教育の教師として働いてました。
生活する中で支援が必要な生徒達に、自立を目的に教育をしてました。
一人ひとりにあった、自立する目的に合わせ指導してました。
生徒も先天的に障害をもち生まれてきた重度重複の生徒から身体的には五体満足ですが、心の病で不登校を何度も繰り返す生徒までいました。
特に、*不登校専門の学校で働いていた時に私は沢山葛藤がありました。
*不登校専門の学校とは、一度でも不登校になっている人のみ入学できる学校
在校生は、不登校を経験している生徒達👨🎓👩🎓
一見普通校の生徒と何も変わらないので、なぜ不登校になるのか理解できなかったんです。
新学期を迎え、体育の授業が開始された時の話ですが特別支援学校や普通校では考えられない事が起きました。
それは、体育館に生徒がこない😵💦
クーデター?
と思いましたが、
補佐の先生達が何年か勤務している人達で、先生は授業前に迎えに行く事を伝えられました。
はじめ聞いたとき、は?なんで?と思いましたが、、。
前の先生もそうしてたと伝えられ、私はしぶしぶプレイルーム、相談室、教室にいきました。
迎えに行くとプレイルームで遊んでたり、本を読んでいたり、カウンセラーに相談してたり、寝てる子もいました。
迎えにきて、体育の授業に参加する生徒もいれば拒否する生徒もいました。
私には、理解不能でした。
❶どうして迎えに来ないといけないのか?
❷どうして時間通りに動けないのか?
最初は、特別支援学校で働いていたので、比べて考えてしまってとてと否定的でした。私は、生徒達のする行動に共感も納得もできなかったからです。
ただ、関わっていく中で【承認欲求】の表れというに気づきました。また、【コミュニケーション不足】により主張の仕方が苦手ということも。
この苦手分野って、不登校児じゃなくてもあることだと思いませんか?そして、承認欲求なんて誰もがある
私は既成概念で、普通校生徒はこうあるべき不登校児はこうあるべきと思っていたんです。
関わっていくなかで、そんな差別はなくなりましたね。それは、私自身が差別なく接する事を大切にしてたからです。
授業に出たくないと主張したら、きっと先生は出ないといけない理由を話し説得するはずです。(これは多くの先生達が対応するでしょう)
これを、現場で他の生徒や先生の対応見てきて違和感がありました。
どうして一度受け入れてあげないのだろうか?と
授業に出たくない→OK🙆♀️
じゃダメなのだろうか?
授業に出たくない→出たい時に出たらいい。やりたい事があればそれを思いっきりやるといいよ
と、思ってました。
ただ、思ってるだけで行動には移せませんでした。
小幡さんのこの本を読んだ時
学校にいかなくても、仕事をして生活して生きている‼️
凄い感動しました。
私が教師時代に思い描いたような人がいたことにw
そんな人が本を出し、世の中の不登校児にメッセージを送っているのを一字一句読んだ時に、心の底から
『学校にいかなくてもいい』
と思いました。
この本は、現場で教育してる教師、親御さんにみてもらいたい。タイトルだけみたら、反論する人もいるかもですが
時代に合わせた教育をしってもらいたい。
学校に行かないと、いい会社には入れない時代ではないこと。
不登校児だって何でもできる事。
学校に行く事がダメな事ではないこと。
この本を見た時、この本があの教師時代に知っていたから、もっと指導の可能性が広がったかなと私は感じました。
皆さんに、一度手にとってみてほしい一冊です。
無知とは罪
情報を取得し活用して生きる力に変えて行きましょう!