AYUYOGAに至るまで
過去を振り返ると、何をするにしても一人じゃなんもできなかった。
少女時代は、ごく普通のどこにでもいる女の子でした(たぶん😅)
ここに至るまで3人の女性との出会いです。
私の人生に衝撃を与えてくれた人達を紹介します。
皆さんももしかしたそんな人がいるんではないでしょうか?
生まれて初めてこうなりたいと思ったのは
昔から身体を動かす事が大好きで、おてんばさんでしたねw
お人形ごっこよりおにごっこ派でしたw休み時間は、男子とドッチボールしてましたね。
中学生の時、初めてこんな人になりたい!と思ったのがソフトボール部の顧問の先生でした。
あの頃は、日が暮れるまで毎日ソフトボールに打ち込んでました。
ソフトボールが大好きで、お父さんに朝練を付き合ってもらったり、オリンピック選手居会いに行ったりしてました。
そんなソフトボールの楽しさを教えてくれた恩師(よう先生)のようになりたい。
体育指導の先生でもあり、色々なスポーツを教えられて凄いなって心から尊敬してました。
私もいつしか教壇に立って生徒に運動の楽しさを教えたいその一心で体育大に進学を決めました。
大学時代は、約150名いたソフトボール部員。オリンピック選手もいる世界で、田舎もんの自分は自信消失なりました。
早く言えば挫折ってやつですね。ただこの挫折のおかげで、指導したい気持ちはずっとブレずにいました。
その後、空手とダンスに出会い、鍛錬と後輩指導を通じて指導の道を目指す事になりました。
待ちわびていた教育実習のはずが…
顧問の先生が母校でまだ教員をしていたため、教育実習の担当してくださいました。
私は、先生に会える事、また指導してもらえる事が楽しみでしかたありませんでした。
そんな気持ちは束の間で
タイムスリップしたかのように、先生は私を生徒並に指導の嵐。
当時の部活がフラッシュバック
今だから言えます。
毎日泣いてました。(笑)
当時部活でノックしていたのを思い出すくらいでした😭
愛の鞭とはこの事!!!どの教育実習生よりもバカ怒られました。(ひでぇ)
ただ教壇に立つと、指導に正解がない事が痛感しました。
自分ではうまく行ったと思っても、生徒はふに落ちてなかったり。
イマイチだと思った授業が公表が良かったり…。。。
毎日が必死で試行錯誤の連続でした。
初めて、恩師の立場や想いを知る事ができました。苦難や困難はあり、感情が右往左往してましたが
私は、生徒と向き合えば向き合うほど、ますますこの仕事をしたいと思いました。
厳しい実習最終日に、恩師から『数ある仕事中から指導の道を選んでくれてありがとう』と言われました。
もーこの時は、嗚咽状態😭😭😭😭😭
泣きじゃくりましたっっっw😂
自分ごとのように、悔しがったり、嬉しがったりしてくれる恩師
そんな背中を見て、私は先生になる!と決めました!