二番目に紹介するのは
私が所属していた空手部の先輩JYOです。
彼女とは、時に友達だったり、姉妹だったり、そして偉大な私の先輩です。
(⇩真ん中がJYO)
彼女がいなかったら、きっと社会人になった時に、私は前に進めていなかったと思います。
そんな私の20代ライフを紹介しますね✌️
大学時代
空手部で汗を流す日々。心を鬼にして勝つために毎日練習に励んでいました。
(写真はふざけてますが、我が部活は結構実力アリでした)
1日3部練や合宿とかもやっていて、今思うと地獄です。。。
JYOは、空手部の1個上の先輩でした。空手部の傍らストリートダンスサークルにも所属していました。
大学時代にダンスの授業でダンスが好きになり、
特にヒップホップに興味を持っていた私はJYOとあっという間に仲良くなりました。
それがきっかけで、辛い練習後にダンスをするようになり、一緒にダンスショーケースやダンスに似合う服を買いに行ったりするようになりました。かと言って私達妥協は嫌だったので、空手の練習もかなりしてました。
義務教育にダンスがあったり、ダンスシーンがまだアンダーグランドで今のようにダンスシーンが浸透してなかったです。
ダンス練習後に、JYOがいつも言ってました
JYOの名言
『音がある世界で、こんなにも楽しく身体を動かせるってすごくない?』
続けて『自分の感情を作ったり、表現したり、こんなにワクワクする事ないよね?』
この言葉、何度言ってたんだろう?😂
ダンスが好き!って気持ち
無意識レベルで伝わりますね!!!
私たちは大学卒業後…。
それぞれ、体育の先生に!
山梨の学校に就職したJYOと特別支援学校に就職した私は、教師をやりながら週末はダンサー生活を送って過ごしてました。カップルで言うと遠距離でダンサーとして活動してました。
時間があれば、人気なダンサーのスクールに行きレッスンを受け、二人のダンスはがアウトプット!!
学校の授業や部活でダンスを教えてました。その時代、ダンスができる教員は優遇され一目おかれてましたね。
なのでやりたい事は、ペーペーな立場でもダンスとなればダンスとなれば文句も言われずやることができてました。
なんで、とてつもなく生意気の体育教師だったと思います。ほんとトンガっていたなと痛感中…。
(あの時の先輩先生方、ご迷惑おかけしました😭🙏)
社会人になって
社会人なってどれだけダンスに時間もお金も費やしただろう。。。
その当時は、バックダンサーやスクールの先生が羨ましくてカッコ良くて、
最初は学校という場なので遠慮してましたがいつの間にかダンサーの体育教師になってました。
ダンサーのイメージ
ただ、当時は
ダンサー=チャライ、ちゃんとしてないとう言う世間のイメージは大きくてとても印象は悪かったです。
私たち自身も多くのレッスンを受けたので、二度とこんな先生に習いたくない、
金払いたくないと思うような先生もいたので自分たちはそのイメージを払拭しようと決めてました。
山梨から毎週末JYOは東京にきて練習とクラブに行きショウケースに出たりと休む日を惜しまず生きてました。
真逆なダンサーでありたい
挨拶や礼儀もきちんとし、敬意を払ってダンスと向き合おうと決めてました。
どんなにダンスがどんなに上手でも、
遅刻してレッスンにきたり、アシスタントにレッスンさせたり、アドバイスなしで自分だけ気持ちよく踊ったり
人としての部分がかけているダンサーが多いと思った私たちは、
その真逆のダンサーをしようと決めました。
(あくまでも主観です。私もいち生徒だったので)
その積み重ねで、学校をでて民間で仕事をする中、生徒や生徒の親御さんとの信頼を得るようになりした。
主に私は、キッズを中心に幼児期の一番神経系が発達する時期にダンスとヨガを融合したレッスンを教え
体力や運動能力の向上を目指し、好きな事で苦手な事も好きに変えられるような子供たち増え
生きる上で自身や力に変えてくれたらと願いながら教えの仕事をしてました。
その気持ちは、すぐには伝わらなかったけど、
コツコツ続けること成果が表れます。
はじめたて当初は、無表情な子が元気いっぱいでレッスンに来たり、
振り覚えが悪かった子誰よりも覚えるのが早くなったりと成長という形でが嬉しい限りです。
ダンスを通じて
自信を持つこと
諦めないこと
この2つは私がJYOにダンスを教えて、学んだ教えの教訓です。
無理だと思った先に、魅力や感動がある事を知りました。
未来に、ダンスで感じたことが生き、力に変わり活かしてくれてる事を願います。
こんな事を私は、JYOという先輩と出会い感じることができました。皆さんはどんなターニングポイントの方々がいますか?よかったらDMやコメントして教えてくださいね